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幾多のハードシングスを乗り越えて。CEO中川が語る「カケハシと私の5年間」【前編】

2021年3月に、カケハシは創業から5周年を迎えました。

「日本の医療体験を、しなやかに。」というミッションを掲げて取り組んできたこの5年間を、代表取締役CEOの中川貴史と振り返ります。

起業家人生に入り込んだ、コンサルタントのキャリア

—せっかくなので、創業以前のお話から。最初の起業は学生時代と聞きました。

弁護士を目指して法学部に在籍していたのですが、大学3年ぐらいまでは起業やサークル活動に明け暮れていましたね(笑)。本来であれば卒業後に法科大学院へ進学したかったのですが、学生生活を勉学以外の部分で謳歌してしまっていたため、ストレートは難しそうと判断。受験勉強も兼ねて海外の大学への留学を思いつきました。

ただ、案の定全く勉強もせずに、日本から送った約40kgの参考書が入ったダンボールの封を開けませんでしたね(笑)。結局、飲み屋で話す英語だけが上達して帰ってきたのですが、一緒に遊んでいたはずの友人たちが「官公庁へ行きます」「総合商社へ就職します」などと口にしているわけです。就職活動自体もほとんど終わっているタイミングだったので、若干の焦りもあり、できることは全部試しましたね。就活から、大学院受験、司法試験、そして起業も。

—在学中に再び起業したんですね。

就活で唯一ご縁があった会社が、マッキンゼーでした。起業した矢先のことでした。一般の採用枠は終わっていたので、私は「海外採用枠」というイメージでエントリーしていたのですが、マッキンゼー側は中途採用に似たスタンスだったのかもしれません。面接も6〜7回やりましたし。

内定をもらえたことはとてもありがたかったのですが、正直なところ入社の前日まで悩みました(笑)。やはり、自分が立ち上げたサービスには愛着があったので。

—ちなみに、どういったサービス?

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今で言うところのSpotifyのようなミュージックストリーミングサービスを考えていました。ただ、特に音楽関係は権利交渉がすごく難しくて。当時はレーベルもCDの売上を重視している時代だったこともあり、話が進んでも「最初の30秒だけならOKです」と言われて。「いや、それじゃサビまで聴けないじゃないですか」みたいな(笑)。そのあたりにかなり苦戦していたこともあり、一度マッキンゼーでビジネスについて勉強したり人脈を築いたりしようと決断しました。

だから、メディアなどでは“マッキンゼー出身の起業家”という見出しをつけてもらうことが多いのですが、私の中では「起業家人生にコンサルタントのキャリアが入り込んだ」みたいなイメージが強いんですよね。自分のアイデンティティとしては、何か新しい価値をゼロからつくって、社会を変えていくことに喜びを感じるので。

マッキンゼー入社後も同僚や仲のいい先輩から「2年ぐらいですぐに辞めそう」と言われていたのですが、目の前にクライアントの課題があると「必要なこと、できることは全部やりましょう」と起業家マインドが燃えてしまって。コンサルタントの動き方としてはめちゃくちゃだったと思いますが、すごく楽しくて、気がついたら5〜6年勤めていました。

社会の課題と真正面から向き合いたい

—再び起業を決断した背景には何が?

シカゴのオフィスで働いていたときの経験が大きいです。

当時私がマネージャーを担当していたクライアントのプロジェクトで、大きなインパクトを残せた案件がありました。年間2,000億~3,000億円のコスト削減に成功し、クライアントも私も大満足。

しかし、クライアントの利益の最大化は、結果として、アジア等にあるサプライヤーの労働力を買い叩くことになってしまっていました。

一方、クライアントのトップエグゼクティブたちはプライベートジェットで移動するような生活を送っているわけです。そんな現実を目の当たりにして、自分のコンサルティングワークが資本主義のメカニズムを加速させていることに気づき、同時に「自分のやっていることは、社会にとって本当に価値のあることなのか」と疑問を抱くようになりました。

自分の人生を費やすのであれば、目先のお金ではなく、社会の課題に真正面から向き合って新しい価値を生み出していきたい。社歴を重ねるほど、現場で自ら手を動かして挑戦する機会が少なくなっていくことは明らかだったので、「今しかない」と。シカゴから帰国したタイミングで事業アイデアを考えたのですが、そのなかのひとつが医療でした。

グローバルにみても最も高齢化が進んでいる日本において、医療は特に重要な社会基盤です。これからの社会のあり方を左右するともいえる領域に真正面から向き合っていくこと、それそのものに、私自身、強い使命感を持っています。

—パートナーである中尾さん(※共同代表)との出会いは?

シカゴから帰国したタイミングです。

もともと豊(※中川は中尾を下の名前で呼びます)は製薬会社のMRで、医療のなかでも薬事の現場で起きていることへの課題感や危機感の目線が合っている感覚がありましたし、何より目先のお金よりも社会課題の解決にフォーカスしている部分がものすごく一致していて。自然と「一緒にやってみようか」という話になりました。パーソナルな部分だと、彼が“いいやつ”だったこともすごく大きいです。

心を動かした、ある若手薬剤師の言葉

—起業してからは何からスタートしたんですか?

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とにかく、薬局や薬剤師さんのことをより深く知るために全ての時間を使いました。豊のネットワークを駆使して、新卒入社したばかりの薬剤師さんから60代のパートの薬剤師さん、薬局をオープンしたばかりの若手の方から大手企業の役員になった方まで、ありとあらゆる方に「今日一日、一緒に回らせてください」とお願いして。「いま困っていることはなんですか?」「将来の夢は?」「土日は何しているんですか?」等さまざまな角度からインタビューをして、薬剤師さんたちの現状を把握しました。

現場の考え方や業務フローを解像度高くインプットするために、「考えていることを全てお話しながら仕事をしてください」とお願いし、薬剤師さんの横を一日中ついて回ったこともありましたね。

—印象に残っていることはありますか?

特に印象に残っているのが、3〜4年目ぐらいの、ある薬剤師さんの言葉です。「チーム医療のなかで活躍する薬剤師として、患者さんに寄り添い、貢献していきたいと思い入社したのに、実際は言われたことをこなし、医師に疑義照会してもただただ相手の心証を損ねるばかり。自分は何のために薬剤師として働いているのか、答えがわからなくなってしまった」と。

薬剤師の知識量は本当にすごいんです。しかし、その知識が活かされる場面はまだまだ多いとは言えないのが現状です。頑張っているのに報われないのは悲しいことですし、希望が持てなくなってしまう方もいるでしょう。

本来であれば、患者さんのために頑張っている薬剤師が評価されて、「あの薬剤師のようになりたい」と思われるようなロールモデルとなり、その姿を見てさらに頑張る人が増えて……と、医療の質は上がって然るべきです。「“患者さんに貢献したい”という純粋な想いが押しつぶされてしまう状況を変えなければいけない」と、その言葉を聞いて強く感じました。

同時に、私は欧米のスタートアップやマーケット環境、日本の法規制などを調べつつ、今後の規制緩和のタイミングや報酬設計の仕組みなどを構造的に整理しました。日本の医療の構造や患者さんの医療体験を大きく変えられるような事業モデルと戦略を組み上げていきました。

Musubiを、医療構造を変革する足がかりに

—Musubiはどういう位置付けだったのでしょう?

Musubiだけで薬局におけるすべての課題を解決できるとは思っていません。あくまでもカケハシが日本の医療全体に大きな変革をもたらすための第一歩という位置付けです。

Musubiを開発した経緯も説明しますね。もともと、薬局には過去30〜40年間、構造が変わらないオンプレ型のシステムがありました。ただ、残念ながらあまり使い勝手がいいとは言えず、インタビューした薬剤師300人中ほぼ全員が「薬歴を書くのが大変だし、時間もかかるので、苦痛で仕方ない」と話していました。

ほぼ全ての薬剤師さんが感じる課題を解消できたら確実に評価されるし、次のステップも見えやすくなる。そこで、まずは薬歴まわりのソリューションにフォーカスし、事業を組み立てていくことにしました。

—2016年10月にMusubiを初めて発表、2017年3月にベータ版、8月に正式リリースをしています。手応えはどうでした?

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正直なところ、2016年10月のタイミングではプロダクトは全くできていなくて(笑)。

ただ、プロトタイプ+αのようなもので日本薬剤師学会に出展したのですが、たくさんの方に集まってもらえて、「すごく新しいね」「面白いね」と声をかけていただけたことはとても励みになりました。

—そういう意味では、当初から目指していた“精度の高いプロダクト”としてのボーダーラインはクリアしたと?

そうかもしれません。ただ、常にギリギリの判断が求められる苦しさはありましたね。より良いサービスを作っていくためにも、できる限り優秀な人材に入社していただき最大限の投資をしていきたいわけで、そのために必要な資金調達のタイミング等にはかなり気を遣いました。

最初の2年ぐらいは私がバックオフィス業務をすべて担当していたので、給料の支払いを失念してしまったこともありました。「今月の給与がまだ振り込まれていなくて……」という連絡をメンバーからもらって、「すみません! このあと振り込むので、明日には着金すると思います」というコミュニケーションをしていたこともありました。そういう意味でも、当時からカケハシを支えてくれたメンバーには、本当に頭が上がらないですね。

—いわゆる受託仕事などはしていなかったんですよね?

全くです。すべてのリソースをプロダクトに注ぎ込んでいました。日々残高が減っていくキャッシュとプロダクトの仕上がり具合を見ながら過ごした2年間でしたね。

—ある程度、見通しが立ったのは?

2018年になってからです。プロダクトが順調に稼働し、メンバーも増えてきて、2018年3月にB Dash Campで優勝して……会社としての一歩を踏み出せたような気がします。当時はまだ20〜30名の規模で、私も中尾も営業の最前線で動いていたのですが、カスタマーサクセスやオンボーディングのチームなどが立ち上がり、1年で100名ぐらいの組織に拡大しました。一気に拡大フェーズに入ったタイミングでしたね。

ただ……その後またしても大変なことが起こるのですが……!


(後編に続く)



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